ロヴォシツェ (Lovosice)
ドイツ語名はロボジッツ (Lobositz) である.
ラーベ川(エルベ川)低地の北端の、ラーベ川の左岸に築かれた. ボヘミア高地の南端でもあり、ロヴォシュ山が最も近い山である. 首都プラハから北におよそ60kmのところにある. 行政的にはウースチー州のリトムニェジツェ地区に属す. 街自体はかなり細長く、「ロヴォシツェくらい長く」とことわざにもされるほどである.
交通の要衝で、ラーベ川に貨物港があるだけでなく、プラハとドイツとをむすぶD8高速道路やプラハからドレスデンに至る高速鉄道も通っている. 化学や食品などの工業が盛ん.
青銅器時代には既に人が住んでいた. チェコで最初期の人類居住の痕跡がある.
初めて歴史上に登場するのは1143年4月12日のことで、ワラキア公ヴラディスラフ2世がこの小さな村にストラホフ修道院を建てた. 1600年7月4日には神聖ローマ皇帝ルドルフ2世から町権をさずかっている. 1756年にはプロイセンとオーストリア帝国との間で有名なロボジッツの戦いが交わされた.
ズデーテン地方をドイツ領と定めたミュンヘン協定により、第二次世界大戦中はドイツに支配された. 当時は600人のチェコ人が暮らしていた. 戦後はベネシュ布告によりドイツ系住民が迫害された.